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- by Ayumi NAKAYAMA
- ●01.07.31
- たまたま店でひとりになったときに、お客様から「きれいな女の人はいなかったっけ?」と訊かれた。「は?私以外にですか?」とは応えずに、はて女といえば私以外は濱岡しかいないが、濱岡のことであろうか、言われてみれば濱岡はかわいく見えるが「きれい」というような近寄りがたいかんじではないと思うが、あるいは店自体を勘違いされているということはあるまいか…などと思いをめぐらせながら「はぁ…別の者もおりますが、席をはずしておりまして、その者かどうか…」などと否定するでもなく肯定すえうでもなくうっすらと返答をしてしまった。はたして濱岡のことなのであろうか? そうして私はこのシチュエーションに既視感を覚えたのであった。そう、それは津川がいた頃。私は開店前にコンピュータに向かっていたところ、いるはずのない人の気配を感じ、ふと顔をあげた。すると、そこに私と津川を勘違いした共通の知人が立っていたのであった。おそらく相手は、ちょっとびっくりさせて喜ばせようとでも思ったのであろうが、顔をあげたのが私だったので、逆に驚き、驚いたついでに「なんだ、中山さんか!」と怒るように口走ってしまったのであった。こちらも不法侵入者かと思って一瞬ビビったので、さすがに「なんだとはなんだ、勝手に入ってきやがってよぉ」とはいえずに「そうですよ、私ですよ、なんですか、おはようございますじゃないの」みたいなことを言った覚えがある。会社でお局が若い女子社員へ厳しい態度をとるのは、若いモンには決してわからないこうした数々の受難が人知れず存在するのである。私の場合、こういうことがあった日は、逆に女の子を注意したりすると、無意識のうちに根に持っているのかしら?などと逆に自分を勘ぐってしまうので、平常心を心がけるあまり不自然になってしまうのである。
- ●01.07.30
- こう暑いと外で本を仕入れるのも辛くだれがちになってしまうが、怠け心に鞭を打って仕入れねばならぬ!と自分に言い聞かせつつもなまけている日々である。丸尾末広先生からまた作品がたまったとのこご連絡をいただいたので、今年もまた近々、丸尾先生のフェアを行うことができる。詳細は近々に発表します。
- ●01.07.27
- 今日は頭脳警察のCDが何種類か入ったのだが、それに関する私の遠い日の思い出をひとつ。現在、ロック雑誌の編集をやっている先輩が大学時代、学園祭にPANTA氏をお招きし、今にしてはよほどの人出不足だったのだと思うのだが、文連(文化系サークルの自主管理機関)に無関係の私も手伝いを命じられた。思えば、先輩にご飯をおごってもらっていたわけでもないのに、当時、私は外タレのチケット発売だといっては代わりに並ばされたりすることに何ら疑問も抱かずに命ぜられるままにミッションを片づけていたのであった。PANTA氏のライブに関してもポスターを書けと言われ、模造紙にマジックで何枚か書き、余白にはパンダちゃんの絵まで描き、その辺に貼ったように記憶している。さて、ライブ当日、サークルの部室が集まる校舎の一隅に急ごしらえの楽屋が設けられ、私は出番を待つPANTA氏のそばにいて、何かあったら連絡に走ったりする雑用係という大役を仰せつかった。この時点で私はPANTA氏がどういう音楽を演奏するのかも知らず、先輩も教えてくれずに、ついに本番までを楽屋でPANTA氏とふたりきりで過ごすこととなったのである。今でも居酒屋などで人にお酌などせずマイペースの手酌で飲む私であるが、当時はもっと気のきかない若者であったので、「ただそこにいればいいから」という先輩の命令を守り、「何かお飲物でも…」といった一言も出ぬまま、気まず〜い沈黙の中、ただPANTA氏のそばで椅子に座っていたのであった。どれだけの時間がながれたであろう。氏はおもむろにバッグをあけるとブロン液と書かれた茶色の瓶を取り出し、キャップに中身をつぐと、一気にのみほし、最後の滴まで舌で嘗めきった。子供の頃から食べ物を残すなと厳しく言われ、出されたものはキレイにたいらげる私はその態度にやや親近感を抱いた。そのせいか、緊張がやや緩んだのだろう。氏に話しかけた。「お風邪ですか?」。PANTA氏は困ったような呆れたような様子で返答に窮していた。あの頃、私は若かった。
- ●01.07.26
- 土屋慎吾先生のサイン会を8月19日に行う予定なのだが、土屋先生のたってのご希望で著書『スチュワーデス加奈子のひみつ』にあわせて、当日スチュワーデスを配したいというのである。先生はスチュワーデスの格好をする人は店にいないかとお尋ねになった。応対した大西は「バイトの女の子ならいますが、コスプレはうちの店ではやっていないのでちょっと無理かもしれませんね…」と希望に応じかねるような返事をしていたが、これを脇で聞いていた私が、翌日ダメもとで濱岡に理由もいわずに「スチュワーデスになりたいと思ったことな〜い?」と訊くと「はぁ、スチュワーデスですか。親はスチュワーデスにしたいと思ったことがあるみたいですけどね…」と応えたので「じゃあ、一度なってみましょうよ」と誘うと「そうですかぁ…?」などという。そこで土屋先生がチャンスを与えてくださった事を話すと、いともあっさりと「はぁ、やります」と言うのであった。意外。いや、寡黙ななかにも濱岡にはむしろ楽しみにしている気配すらあった。というわけで、8月19日の土屋先生のイベントはスチュワーデスつきとなります。タコシェ初のコスプレです。
- ●01.07.25
- それにしても暑い。今日は雨が降ったので、タコシェの入っているブロードウェイビルの入口は、マットが敷かれているのだが、そのマットが暑さで蒸されて臭気でビル中がムワ〜としている。
- 昨夜は久々に模索舎や書肆アクセスの店員さんたち、出版社の方々と呑んだ。これまで直接お取り引きのなかった版元さんにお目にかかり、直におとりひきしてもらえそうである。彷書月刊の方にはとんでも本のパイオニアとでもいえる八切止夫の特集を組めないかとお願いしてみたりして。八切止夫は日本史に斬新な説(伊達政宗は女だったとか)をとなえ様々な歴史関係の本を著しており、自らシェル出版をおこし、すごい数の自著を世に送り出しているのである。ある著作の後ろの方のページには自著のリストがのっており、希望者には30冊くらいを無料で送付するとまで出ているエネルギー過剰な人で、私はかねてから興味を持っていたのである。誰でもいい、八切止夫について教えてほしい。かつては古本屋で矢切止夫の本はたいへん安く置かれていたのだが、最近では高値がついていたりもする。
- ●01.07.24
- 私が気に入っていたミニコミを作っている方から、委託販売をはじめてはみたが価格設定などで委託に対する考慮をしてなかったために、続けるほどに赤字になってしまうから委託販売を終わりにしたいという連絡をいただいた。しばらく前には長く定期刊行を続けていらっしゃる方が疲れたのでそろそろ終わりにしたいということをおっしゃっていた。事情はそれぞれだが、気に入ったミニコミが終わってしまうのは悲しい(その一方で新しいものも生まれてはいるのですけど)。お店をやってきたうえで感じたミニコミの成果を出すコツをいくつか挙げると、1継続する 2取材などがよくしてあり資料性がたかい、といったことがあると思う。多くの納品者の方に望むことは1回きりの納品におわらず、続けることである。
- ●01.07.23
- ちょっと更新をさぼっていたが、この間、私は日光に行ったりしていた。日光は奈良時代の末期に、仏教の修行僧としてこの地に足を踏み入れた勝道上人(空海の兄弟子にあたる)がパイオニアとなり開かれた土地である。勝道上人は男体山を望む四本竜寺(のちの輪王寺)を建立し、修業の末に前人未踏の山頂に到達した。このことに端を発して、日光は、男体山と女峰山の二山を中心とする山岳信仰の形態を整えていった。初期の信仰は二荒神(ふたあらがみ)で、男体山は二荒山(ふたらさん)と呼ばた。ちなみに「二荒」とは観世音菩薩の国「補陀洛=フダラク」に由来する。四本竜寺に続いて、中禅寺、二荒山神社が建立されると、日光は東国における山岳信仰の中心となったのである。
「二荒」を音読みにし「にこう=日光」と呼んだのは空海で、しだいに日光の名が定着。この土地がなぜ徳川家康の墓所として選ばれたかというと…。それは古くからの霊場であるということとともに、いわゆる「風水」によるものだといわれている。江戸は江戸城の鬼門(北東)に寛永寺、不忍池には人工島を造り弁天堂と、災いを封じ込め泰平を念じる都市構造となっている。(目黒不動も同じような災い封じだそう)その真北、江戸と北極星を結ぶ宇宙の中心軸上に位置する「日光」に家康ら徳川将軍自らが鎮守の神となり未来永劫の徳川の繁栄を願う、これが東照宮の始まりだそうである。というわけで、東京を守る日光に足を延ばし、東照宮の奥、徳川家康、秀忠、家光の三代将軍につかえ、108才まで生きた天海大僧正をお祀りしたお寺などを訪れたりしていたのであった。観光客でごったがえす東照宮のそばでいながら、誰もいない山中は森林浴にもよく静謐な空気がみなぎっていて、ここで私はちょっとだけ瞑想などしていたのであった。
- ●01.07.19
- コンピュータやファックスなどの備品を買いに秋葉原へ。ファックスのインクリボンを買おうとして、売り場に行くと、L-modeが出たことで、各社の機種が一新されており、長らく変わりばえしなかった売り場が目新しくなっていた。備品を買うために店員に種類をつげると、在庫がないと冷たい。別館とかで在庫がないのかと尋ねると電話で問い合わせ別の店舗を教えてくれたが。こうやってじわりじわりと備品の取り扱いが減ることで、だましだまし使ってきた我々のファックスも使いづらくなるのだろうか。店にはL-modeはいらないので困る。ファックス界の大転換期だ。
- ●01.07.17
- お店をやっていると時々、お客様やお取り引き先からお叱りを頂戴することがある。小さなことでは「ブックカバーをつけるのが遅い。なぜ、あらかじめブックカバーをこの店を用意していないのか。暇な時間に作っておくとかできないのか」とかいうお小言など。そのひとつひとつはもっともな意見で、確かにタコシェの場合、一般書店と違って品物の注文やら交渉まで店員がやるのだから漫然と店番をしていられずに備品を整えるまで手がまわらないという事情もあるのだが、お客様の言いたい気持ちもわかるので、弁明もむなしくただ謝るしかなく謝ったからといって反省してすっかりシステムを変えることができるかというとそうもいかないこともある。というわけで、当然ながらお叱りを頂戴すると落ち込みもするし、やっぱり私ってダメだ〜と思ってしまう。子供の頃から、親には「ちゃんと世話をするから猫を飼わせてください」などと何日も食い下がって捨て猫を飼ってはみたものの、せいぜい猫飯をあげて一緒に遊んでばかりで蚤取りなどのハードな世話は親にさせていた頃からちっとも変わらないような気がしてしまう。挙げ句の果てには冬に冷たい水で顔を洗うのがいやで、毎食ごとにちゃんと顔を嘗める猫を指さされ「猫だって顔を洗っているのに、ちゃんと洗いなさい!」と叱られる始末。手をひろげるだけひろげて、収集がつかなくなるというか。やっぱり私って能力が無いんだよ〜こんなことやってる資格なんてないんだ、とどよ〜んとした気分になってしまう。といってもいつも思っているわけでもなく、そういう思いにどっぷりつかる日が年に何日かはあるものなのだ。
- ●01.07.16
- いつも、頭を悩ませるのは全くのインディーズのCDの内容をどう把握したりお客様に伝えるか。あまり多くの枚数をおあずかりできないので、必ずサンプルをつけて納品してほしいとは言えないし、かといって、ジャケットにもライナーノーツにもあまりに手がかりのないCDが多いのである。シンプルを目指して背にもタイトルが入らず、ジャケットも殆ど文字だけとなるとお客様の選択材料も限られてしまい、ただでさえ、買うのに勇気がいるものがますます敬遠されてしまうのではないか。お店では、音楽に関してはご自身で解説を書いてもらうようにしたりもしているのだが、ときとしてそれすら「渾身の1枚」とか「99年ヴォーカルのAがギターのBと出会ったことではじまったバンド」とか、客観的な判断材料にならない空回りの内容になってしまうこともある。こういう書き方に終わらないために、イメージやコンセプトやお客さんへのメッセージと曲に対する解説を分けて書いてもらうなど、こちらの書式に工夫をこらす必要があるのではないかと考える。
- ●01.07.12
- 今日は、先週、お目にかかった水森亜土さんのお宅へ。家じゅうが、亜土ちゃんの絵だらけ! 古い日本家屋なのだけど窓ガラスにも亜土ちゃんの絵がペインティングされていたりして、ファンシーでいて妙に風通しもよく涼しく心地よいお宅。亜土ちゃん自らが冷やしたゼリーに梅酒をちょっとたらしたりして出してくれたり、麦茶をついでくれて(途中でつぎ足したり、氷も入れたり)おもてなし上手。アトリエを拝見したりしてお話を伺う。本当は聞きたいことがたくさんあったのだが、話があちこち脱線するうちに、時間が足りなくなってしまった。亜土ちゃんがマルチ?(ご本人はこの言葉は好きじゃないらしい)な理由がわかった、楽しいひとときであった。ハンカチやレコードのおみやげまでいただいた。
- ●01.07.11
- 鳩の糞害で倉庫のベランダがたいへんなことになったため、わざわざ業者に清掃を依頼し電気系統なども修繕したものの、結局、倉庫を空けた話は以前に書いたと思う。今は、前の倉庫より遠くて不自由になったが、やや広くて安い倉庫を利用している。しかし、倉庫を引き払ったことによって、戻ってくるとあてにしていた敷金が全然帰ってこないのである。何よりも、この件で持ち主さんと連絡がとれずにいて困っているのである。これって不動産トラブル? こういう場合の解決法に頭を悩ます日々である。
- ●01.07.10
- 店とは全く関係のないことなのだが、友人が子猫(雑種、一匹はグレイ、もう一匹はキジトラ、性別不明)の里親がいないかというのだが、どなたか猫ちゃんとの暮らしを望んでいる方はいらっしゃらないでしょうか? 私にも愛猫がいるのだが、これがけっこう気むずかしいうえに、この7月で17才になり人間でいうなら80代半ばという年齢のためにとても新入りを迎えいれられる状態ではないのである。
- ●01.07.09
- 今出ている雑誌MUTTSは手作りの特集で、若い世代というかこれからの作家さんたちの自主制作品をいろいろと紹介していたり、自主制作品を扱うショップの紹介も出ている。タコシェも取材を受けてちょっと載っている。日々、自主制作品を扱っていると微妙な変化にかえって気づきにくいものだが、こうやって雑誌の特集をみると新傾向や流行を感じることができる。タコシェでもやはりパソコンなどのおかげでミニコミの体裁は数年前より格段によくなっているし、ポストカードなど誰もが簡単に作って納品するようになったし、簡易なコピー誌が果たしていたような役割はもはやインターネットにとってかわられているように思う。確かに今日も、正統派と思える小説を納品する方もいらっしゃれば、カードの方もいらしたし、アメリカから品物を納品したいという外国の方もみえた。内容は本当に多様化している。こういうお店で働いている私にとっても雑誌の特集は刺激的な内容なので、何か創ってみたい、と思っている方にはおすすめしておく。
- ●01.07.06
- 来週、水森亜土さんを訪問する予定なので、昨夜はそれにそなえて亜土ちゃんのジャズライブを観にでかけた。亜土ちゃんと書いているが、水森さんはは私の母親世代である。にもかかわらず、相変わらずキュートで、毎月最初の木曜日の夜に六本木でライブをやってらっしゃる。最初のステージが終わった後で、ちょっとタイミングをはずしつつ、ミュージシャンが降りたステージに最後に残っていた亜土ちゃんに編集者と一緒におずおずと花束(それでも亜土ちゃんをイメージして私たちでお花を選んでアレンジしてもらったもの)を差し出したら、亜土ちゃんは「素敵なお花をありがとう。お礼状を書きたいので、お名前とご連絡先と血液型を教えてください」とすごく丁寧におっしゃった。そうして後から私たちのいるテーブルにやってきてくれた。名前や住所を紙に書いて渡すと、亜土ちゃんはその脇に忘れないように似顔絵をつける。そうしておもむろにマジックと色紙を取り出すと一人一人に絵を描きだした。「もしかして、勝手に色紙なんて描いて押しつけがましい?」なんて相手を思いやりながら、近所のおいしいお店の話をしたり、熊を見た話やら、映画の話などをしてくれる。その間にも、お帰りになるほかのお客様にご挨拶したり、ほかの注文をしようとしているお客様をみつけては店員さんを呼んだりと四方八方に応対。色紙を描いている途中で第二ステージの時間がやってきて、実はお金のあまりない私たちは、クラブのようなアダルトな空間に緊張しつつミュージックチャージがまたかかってしまう…と不安になっていた。しかし、亜土ちゃんは「お金がかかるから、無理に追加注文しなくていいからこのまま飲んでいて」などと小さな声で気遣ってくれ、第2ステージを終えて色紙を描きあげてくれた。色紙には「亜弓ちゃんへ」と書いてくれて、あの絵柄とかわいい呼びかけをみたら、もう亜土ちゃんの絵と出会ったころ、幼稚園生のかわいい気持ちになって嬉しかった。それは編集者にも同じことが言えて3人で感激しまくった。こうして最後には亜土ちゃんにドアまで見送られて店を後にしたのであった。亜土ちゃんは永遠のアイドルであった。